第5話:レディングサブラベルズ

こうしてレディングサブラベルズは活動を始めた。
最初はオリジナル2曲のみ破壊と束縛。この2曲を何回も繰り返して練習した。飽きるほどやって指板を見なくても前を向いて客を見て演奏出来るまでやっていた。
その後、デビルズロンドを始め新曲が続々と出来ていった…。とにかく洋楽バンドのコピーは絶対にしないバンドだったなぁ〜。【Black Sabbath】ですらコピーをした事はなかった。
そしてファッションと言えば70年代を追いかけていた俺らは、当時すでに時代錯誤も甚だしいロンドンブーツと、フレアパンツに毛皮のコートと銀箱…。街を歩くとみんなが振り返った。電車に乗っても同じだ。その視線が結構楽しかった。何だかイキっていたんだなぁ…。人と同じじゃない事が。
そして自分のバンドがあってメンバーという仲間が居る事が何より自慢だった!
イギリスではヘビーメタルの新しいムーブメントNWOBHMが起こっていて【Iron Maiden】や【SAXON】他にも沢山のバンドがデビューしアルバムを続々と発表していた。とりわけ【SAXON】はお気に入りで、バイカーズバンドらしいスピード感溢れるロックンロールにはやられたなあ。ギターのグラハムオリバーの持つSGには【Hendrix】のスティッカーが貼ってありフリークの俺としては一発で彼のファンとなった。


(SAXON Graham Oliver)

【SAXON】は日本にも来てくれて、メンバー全員で渋公へ行き前から3列目に陣取り5人でヘドバンしまくった‼帰りに首が捥げそうになるほどだった。そのグラハムのギターが欲しくてバイトした金でアリアのSGを購入。自分で色を白に塗り替え使っていた。ネックも細く引きやすい素晴らしいギターだったんだ。
週に2回位リハを続け、浦和市民会館の前の広場で初ステージをやる事になった。
髪も伸びどうしてもミックテイラーの髪型にしたくてパーマをかけたのだが、ブローすると言う技を知らなかった俺は入浴後自分のアタマにに唖然とした。何故なら、ミックテイラーではなく中村雅俊だった。(笑)しかしパーマで縮れた毛をカーリーコームで伸ばすと【Hendrix】の様なアフロヘアになることに気づき、これはニールショーンだとばかり頭を大きくしてた。フレアーパンツにロンドンブーツ、ドレスシャツにアフロヘアーこれじゃあまるでファンクバンドだ。(笑)
肝心の初ステージはエルクの小さなアンプを積み重ね、ボーカルのPAのみと言うアマチュアにとってはよくある感じのセッティング。会場はすり鉢状になった客席の下にステージがあり、そこに初めて5人並んでライブをやった、ギターソロは当然前に走って行き客席を見て弾くのだが、勢い余ってエフェクターからジャックは抜けてしまい音が出ない始末。まさに初ステージあるあるだ…。それでもとにかく楽しかったなぁ。反省することもなく満足感いっぱいな1日であった。またメンバーが行っていた大学の学園祭にもライブに行った。教室の教団側にステージが作ってあり入り口のポスターには『日本全国のライブハウスを震撼させたレディングがやってくる』と書いてあった。そんなライブハウスとかやってないのに…。
と少し恥ずかしくもあったが、それでも充分大学の軽音楽部のバンドより比べ物にならないくらいの演奏をしたし、イカしてたと思う。音楽性が音楽性だっただけにかなり目立つというか、異質な雰囲気を醸し出すバンドにすでに成長していた。とにかく一緒にいることが楽しい仲間それがレディングサブラベルズであった。リハがなくてもいつも一緒にフラフラしていた。俺たちが昼から集まる喫茶店には他のバンドマンの連中もいてその後の【ムルパス】や【イエモン】のヒーセなど不良やバンドマンたまり場となっていた。
当時から俺は谷村くんと呼ばれていて、松川くんと谷村くんは別人だと思われていたらしい。(爆笑)


(バイト先のレコード店)

年も明け自宅近くの坪売り上げが日本一を誇るレコード店でバイトしながらバンドリハとたまに行く大学生活を続けていた。
ある日曜の午後バンド練習があり、夕方でそれを終えると家族で外食することになった。
両親と弟の4人で飯を食い、9時ぐらいだったか帰宅途中になぜかバンドメンバーが乗った車と遭遇した。親父は"これはお前のバンドか?"と俺に聞くと車に向かってこう言った…。『バンドリーダーは誰だ?』喜一が車から降りてきた…。『君に話があるから他のメンバーはもう帰って良い』と告げると俺ら3人は浦和のイトーヨーカドーの前の縁石に座った。


(イトーヨーカドー前)

親父はいくつかの質問を喜一にして最後にこう冷静に聞いた『君は今はもう古いその様な音楽性とファッションを変える気はあるのか?』と…。すると喜一ははっきりとこう言った。『ありません!自分が憧れ続けこういうバンドをやりたいので、すみません。』すると後は純一郎との話だから帰って良いと彼を返した。しばらくの沈黙が続き親父はこういった。『ギターをケースから出しなさい!』何をするのかな?と思ったその直後・・・
おもむろにリッチーブラックモアの様にギターを道路に叩きつけて壊し、靴で踏み潰した。突然の事にびっくりしたが、最後にこう言い残して家に帰った。『反省して家に帰ってくれば許してやる。そのかわりバンドは辞めろ!音楽学校に行きたいなら行かせてやるし、アメリカでもどこでも行けば良い。だがしかし、あのバンドだけは絶対にダメだ、辞めろ。じゃなければ家を出て行って欲しい勝手に音楽やれ!』と…。
1人になった俺はネックも折れバラバラになったギターをソフトケースに入れ頭をもたげて考えていた。『俺はどーすりゃいーんだ!来るとは思っていたが、あまりにも突然だ!誰か助けてくれないか…。』すると遠くからカツカツカツと走ってくる靴音が聞こえる。その靴音は1人から2人3人と増えていき耳元まで来ると声が聞こえた。
『どうした松川選手!大丈夫か?』
バンドのメンバー4人が周りにいた。首をもたげたソフトケースを真ん中に5人で肩を抱いてなぜか泣いた。何も悩まなかった答えは一つだった・・・。
そして俺は家を出た。ここから本当の音楽生活が始まった。


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